夏休み
よく知られていることかもしれないがアメリカの大学の夏休みは長い。ニ学期制(春と秋学期)の場合、五月半ばに春学期が終わり、八月終わりに秋学期が始まるとすると、その間の丸三ヶ月が夏休みとなる。
私の場合、日本の短大からの編入のため、大学卒業に要した期間は二年半だった。その間に夏休みが二回あり、ひたすら勉強の学期中とは違う生活ができたので、ここに書いてみたい。
まずは、初めての夏休み(2000年)だが、たぶんこの時が留学中一番体力的につらいときだったと思う。なぜかというと、昼間は力仕事をして、夜に授業を取っていたからだ。
学生ビザで留学している学生は、勉強目的で入国しているため、学期中は、学部生では一学期に最低12単位(院生は9単位)を取る、働く場合はキャンパス上の仕事に限り週二十時間以内で、というように、仕事に明け暮れることなく勉強に集中させるための規制がある。しかしこれは学期中のみのことで、夏休みは例外である。授業は取っても取らなくてもいいし、仕事も(キャンパス上はキャンパス上だと思うが)フルタイム(週四十時間)行ってかまわない。
学部生だった私は、学期中は勉強に追われ仕事をする余裕がなかった。しかし夏休みは別だ。金に困っていたので夏休みにフルタイムで働ける機会を逃すわけにはいかない。春学期終了間際に、キャンパス上でどんな仕事が出来るのかということを尋ねにキャリアサービスのオフィスに行くと、その時は夏休みがあと数週間で始まるというときだったので選択肢が限られていた。その中に「キャンパスサービス」があり、仕事の内容を聞いてみると「力仕事」といわれた。
私は目が悪いので、事務には向いていないと思ったし、「頭と体とどっちに自信があるか」と聞かれたら、迷わず「体」とこたえる人間なので、ちょうど良いと思い、その仕事を選んだ。
そして春学期の期末試験が終わり、夏休みと同時にこの仕事が始まった。朝七時から三時半までこの仕事をして、夕方六時半から九時まで授業を取るというのが、月曜日から金曜日までの日程だった。
仕事の内容は、文字通り力仕事だった。秋学期は、アメリカでは新学期にあたるため、学生寮では机、ベッドなどの家具を一度部屋の外へ出し、じゅうたんをクリーニングする。この際の家具の出し入れが私たちの仕事だったし、新学期ということでオフィスの机、本棚などの移動も私たちの仕事だった。こうやって一日中力仕事をした後の授業は最悪だ。授業中は集中できず、授業が終わった後に録音したテープを聴くのだが、その途中でも居眠りする有様で、何度巻き戻して聞いたことか。
しかしこの仕事が思わぬところでプラスに働いた。仕事中は六人のグループで働いたのだが、その中に一人高校生がいた。アメリカの高校生は年齢以上に大人だと感じていたが、こいつは違い、まるっきりガキだった。アクセントのある英語をしゃべる私を馬鹿にし(英語が出来ないと、頭が悪いと思われることがある)、ちょっかいを出してくるのだ。こいつは口ばかりで、背は私より小さいし、力は私より弱いし(重いものを運ぶ仕事だったので、力の差は見てすぐ分かった)、年もずっと下だったので、まったく恐れることはなかった。恐れることはなかったが、私にもプライドというものがある。アメリカに来る前は、一応病院で白衣を着て、患者様に「先生」などと呼ばれてたりしていたのに、アメリカでは何の資格もない、その国の言葉も変なアクセントつきでしゃべる、目に障害のある大学生だ。このときは、自分がそれまで日本で手に入れたものが、一歩日本の外に出るとたちまち通用しないという、現実の厳しさと世界の広さを実感した。それと同時に、「必ず大学院へ進学しなければいけない」、とも思った。大学院へ進学して「修士」、「博士」、あるいは「理学療法士の資格」など、この国でも通用するものを手に入れたい、と心の底から思った。当然これがその後大学で良い成績を維持するための力の源となり、無事大学院へ進学できたのである。
二回目の夏(2001年)は、その次の学期に三クラスさえとれば卒業できると分かっていたので、授業は取らなかった。授業を取る必要がなければ、アメリカに残っている理由もない。アメリカでは力仕事しか出来なかった当時の私でも、日本へ帰れば理学療法士として働かせてもらえるからだ。そのため、二ヶ月ほど日本の病院で働かせていただき、再びお金を貯めることが出来た。
非常に大変な夏休みだったが、こういう経験もしたからこそ、今、自分がここでこうして勉強できているのだと思う。